うつになって分かったこと

父親の虐待であたしのココロが崩れてしまった。崩れ去って、1年少しして、国からの支援でなんとか独り立ちをして、生きることになった。崩れる前からダメだという予感はあった。

ただ、虐待を受けてから、独り立ちをするまでの間のやりきれなさ、無力感は例えようがない。

いわゆる”弱者”の恐怖、苦痛、世間から見られる肩身の狭さを、こんな形で体験しようとは、予想もしなかった。

最初は些細なことだった。中学の終わりの頃から、何か機会があればすぐにおうちを追い出されるようになった。いつの間にか、おうちを出たり入ったりを繰り返す状態に陥った。
今でこそ「しつけ」と父は言うが、基本的人権などそこにはない。この段階で警察に通報するべきだったろう。だがあたしは耐え忍んでしまった。
「何を、どうしたらよいのか分からない」と言った方が正しいのかも知れない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。情報が何もない。

高校を卒業し、社会人になる。おうちにお金を入れているのにホームレスになることがあった。どうしたらいいのかわからない。

やがて強制的に転居することになった。転居し、気分が沈み、働けなくなった。
「うつ」であろうことは容易に想像がついた。ただ、どこに行って証明するかがわからない。証明したところでどうなるのかもわからない。だれに救いを求めたらよいのか、途方に暮れる。

困り果て、ネットで軽く調べて、福祉事務所に生活相談に行く。甘えのように聞こえたのか、重要度の高い人からやっている、そちらは何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。

ココロが沈みきり、予告をしてオーバードラッグで自死しようとする。自死は未遂に終わる。気がついたら、警察や福祉事務所、保健所の人が集まっていた。

保健所の方針で、再度福祉事務所に顔を出しに行くことになった。「確定事項となった物の受給に向けての形式的な面談」のため。精神障害者保健福祉手帳も同時に発行されることになった。
物、障害者ということばに引け目、負い目を感じた。

これまで精神障害者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。“弱者に優しい”などといわれている日本に住む者の、一種の不遜さ、甘さを思い知る。

それから3年あまりが経った。状況はやや好転しつつあるものの、ココロの浮き沈みがある、また寝るときには薬が欠かせないと言った感じだ。

この国が精神障害者の不安やつらさに、どれだけこたえ、ねぎらう用意があったかを、改めて思う。

ということで、これが今年最後の投稿になりそうです。
嘘偽りのない、ストロングスタイルの感想です。
今年はリハビリで働き始めました。賃金は倒れる前の1/4程度の金額ですが、働いていることに変わりはありません。
来年はもう少し、ココロの状態をよくしたいものです。

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