十字架を捨てる意義

あたしは過去の重い十字架は捨てました。
そうして新しいchumomotは始まりました。
始まりなのか終わりなのかは観測する人それぞれですが、あたしは始まりだと思っています。
少なくともあたしが見る分には終わりではないです。あたしはここにいる。HELLO WORLDと。

あたしを僻む人、あたしに罵声を浴びせるような人がいるのもまた事実。
正義の対極はまた正義なのも事実なのは承知しております。
ですのでそういう人たちからは目を背けることにしましょう。
そうでもしないと、十字架を捨て、立ち上がった意味がないですから。

あたしはあたしであってあたしでしかないーーーというトートロジーで済ます気は無いです。
あたしはあたしであってあたしでしかないからこそ、あたしが存在する意義があるのではないか、と。
一度死んでから、「あたしが居る意味」をずっと考えてきました。
つまりはこういうことだということを悟りました。
未来を見据えて、構えろ、と。

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